2015年2月18日水曜日

キリスト教では日曜日の部活は禁止ですか?

 中学や高校では日曜日も部活の練習や試合があります。キリスト教ではこうした活動に参加するのは、良くないことなのでしょうか。先日ある牧師さんが、「礼拝を休んで部活に出ることは、あまり良いことではありません」とおっしゃっていました。それ以来、この言葉がずっとひっかかっています。



 「礼拝を休んで部活に出ることは、あまり良いことではありません」は確かに気になりますね。

 もちろん教会の牧師として「中高生は日曜日に礼拝を休んで部活に参加する方が良い」と言えるはずはないし、教会の価値観としてそのようなことがあり得るはずもありません。教会の価値観として部活と主日礼拝のどちらに参加するのが優先されるべきかと言えば、それは主日礼拝を優先する方が良いだろうし、その方が正しいのです。

 「部活のために礼拝を休んでも良い」「礼拝を休むべきだ」などと言う牧師がいたら、僕はそんな人をまったく信用できません。日曜日は「主日」なのです。週の初めの日に信徒が集まって神に祈りパンを裂くのは、聖書にも書かれている初代教会からの伝統なのです。(もっとも現在のプロテスタント教会で、毎週欠かさず聖餐式を行っているところなどまずないと思いますけどね。)

 質問者さんの紹介している牧師の言葉は、日曜日に部活を休んで礼拝に出席している子供たちに向けて語られている言葉です。そうした子供たちは部活と礼拝への出席のどちらを選ぶかを天秤にかけた上で、自ら部活を休んで礼拝に出てきているのです。そうした子供たちの選択を承認し、祝福して励ますのは、牧師として当然のことです。僕はこの牧師の述べていることが、特別異常なことだとは思いません。キリスト教会の牧師として当然のことをしているだけでしょう。

 でも本当ならこの牧師は「日曜日に礼拝に参加するのは良いことである」とだけ述べればよかったのです。子供にとって部活に出るのは良いことです。しかし礼拝に出るのは、それよりもっと良いことだと言えばそれでよかった。なのにこの牧師は、「部活に出るのは良くない」と言ってしまうわけですよね。それは善悪で言えば「悪」だというレッテル張りであり、部活が休みの日曜日にだけ礼拝に出席するような子供たちは「悪い子供たち」だと言っているようなものです。こんなことを言われたら、普段部活に参加して礼拝を休んでいる子供たちは教会から足が遠のきますよ。

 小学校時代には毎週熱心に教会に通っていた子供が、中学生になって部活を始めると、日曜日も練習や試合に出かけて教会に来なくなってしまう。これは日本中どの教会でも起きていることです。そしてこうした子供たちは、学校を卒業してもほとんどが教会には戻ってきません。中には教会に戻ってくる人もいますが、その歩留まりはものすごく悪いわけです。中学生・高校生の子供たちをいかにして教会にとどめておくかは、教会にとって大きな悩みの種であり課題でもあります。

 だからこそ、部活を休んで礼拝に出席している子供たちを教会が大切に思うのもわかるし、そうした子供たちが可愛いのもわかる。しかしそれを理由に、教会に来ない子供たちを悪く言ってはいけません。牧師がそうした気持ちで子供たちに接していたのでは、部活で教会を休んだ子供たちは罪悪感や引け目を感じて、ますます教会に行きにくくなっつぃまいます。

 本当は普段は教会を離れている子供たちにこそ、教会はより手厚く心を配ってあげる必要があると思います。部活が休みになる数ヶ月に1度しか教会に顔を出せない子供たちに声をかけ、心から歓迎して励ますことができれば、その子供はまた別の機会にも教会に来てくれるかもしれません。

 こんなことを書きながら、ルカ15章の放蕩息子の例えをちょっと思い出しました。父のもとから離れていた次男が戻ってきたとき、父親はその子供の帰宅を大いに喜びます。しかしこの様子を見ていた長男はふてくされて、父親に不平を漏らします。「礼拝を休んで部活に出ることは、あまり良いことではありません」と言う牧師は、この長男と同じような立場に身を置いてしまっているのかもしれません。

 以上、あまり参考にはならないかもしれませんが、とりとめもなく感想を書いてみました。

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