「良くない」という言葉の意味にもよりますが、プロテスタント信仰においてはそれらを身に着けても何の益にもならず、何の害にもならないと思います。こうした聖具が持つ効果効能を否定しているのがプロテスタントですから、そこには良い効果もないかわりに、悪い効果もありません。
とりあえずクロス(十字架)のアクセサリーぐらいなら、何の問題もないはずです。十字架はプロテスタント教会でも、キリストの救いの象徴です。
ただしロザリオやメダイについては注意が必要でしょう。
まずロザリオですが、これは装身具ではなく祈りのための道具です。「ロザリオの祈り」を唱えながら、数珠の玉をひとつずつ指でたぐることで、繰り返される祈りを何回数えたかがわかるわけです。
カトリックではこれを首にかけたりせず、ロザリオケースに入れてポケットやカバンの中に入れたりします。映画では修道士が、ロザリオをそのままベルトにぶら下げていることもあります。ロザリオを首にかけることもまったくないわけではないようですが、あまり一般的ではないかもしれません。基本的には手に持って使う物です。
メダイについては図像になっているのがほとんどカトリックの聖人ですから、聖人崇敬の習慣がないプロテスタント教会の立場からすれば、それらに加護や祈りの執り成しを願うのは偶像崇拝につながると解釈されかねません。
メダイは神社やお寺のお守りやお札を持つよりはよほどしゃれていると思いますが、厳格な教会はこれらに目くじら立てますので、そのあたりは教会の雰囲気との兼ね合いでご判断ください。
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