2015年2月17日火曜日

一神教のキリスト教がなぜ三位一体なの?

 厳格な一神教であるユダヤ教を母体にして産まれたキリスト教が、三位一体という教義を持っているのはなぜですか?



 キリスト教もユダヤ教と同じく一神教です。ただしその神の中に、父・子・聖霊という3つの性格を見て、それらがすべて神なのだと主張しているのです。

 三位一体は神に固有の性質であって、他のどんなものにも同じ性質はないとされています。そのため三位一体を他の事例で説明しようとすると、それらはまず間違いなく異端的な考えに陥ります。「水には液体・固体・水蒸気の状態がある」とか、「信号機には赤・青・黄がある」とか、「富士山は見る方向によって形が違う」とか、いろいろと説明しようとする人はいますが、これらはすべて厳密には誤りです。

 三位一体論はユダヤ教から引き継いだ一神教の教えと、教会の中で生まれた「イエス・キリストは神である」という信仰に折り合いを付けるため、長い時間をかけて様々な可能性を考えてはそれを異端として捨て去り、最終的に残った教えです。それが積極的に支持されたということではなく、何百年もかけて膨大な数の説をふるいにかけたすえに、消去法でこれだけが残ったのです。

 一応これで一神教との間に矛盾はないことになっていますが、何しろ他の事例に例えようのない神秘なので、三位一体の教えを聞かされても普通はまず理解できません。教会史や教理史を通して間違いとされた他の教えについて学び、それらがなぜ間違いなのかを考えることで、「三位一体しかあるまい」という結論に達するようになっています。

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