聖書の中で「岩」と言えば使徒ペトロのことをすぐ連想するわけですが、旧約聖書の中に登場する「岩」はそれとは意味が異なります。
神を「岩」に例える表現は詩編以外にも旧約聖書の随所に出てきますが、岩は砂漠で暮らす古代イスラエル人にとって猛獣や外敵から身を守る隠れ場所であり、戦争の時は兵士たちを守る砦となり、時として臨時の住まいにもなった場所です。
イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。(サムエル記上 13:6)
ダビデもサウル王から逃れた際、岩場に隠れました。
サウルとその兵はダビデをねらって出て来たが、ダビデはその知らせを受けると、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこにとどまった。(サムエル記上 23:25)出エジプトの際に、神は岩からほとばしる水でイスラエルの民を潤したこともあります。(出エジプト記 17/民数記 20)
岩は古代イスラエル人にとって、自分たちを苦境から救い、守り、養ってくれる存在だったのです。こうしたことから、聖書の中ではしばしば神が「岩」に例えられるのだと思います。(引用した聖書はすべて新共同訳です。)
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