2015年2月16日月曜日

神は存在しないのでは?

 神はいるんでしょうか? わたしはいないと思います。神を信じているのは、自分の生き方を自分で決めることに自信が持てない弱い人間ではないでしょうか。



 神がいることは証明できませんが、神がいないこともまた証明できません。神がいるかいないかは「わからないこと」であり、その「わからないこと」に対して、何の根拠もなく「神はいる」とか「神はいない」と言っている点で、有神論も無神論もじつは似たもの同士なのです。

 では「神がいる」と信じることと、「神はいない」と信じることでは、どちらがより豊かな人生を送れるでしょう。これはもう、その人の人生観や幸福に対する考え方の問題であって、どちらが正しいとも、どちらが優れているとも言えません。

 神がいるかいないかは「わからない」のですから、それについては「わからない」ままにしておこうという立場も存在します。それが不可知論です。神がいるかいないか、天国や地獄は実在するのかしないのか、信じれば本当に救われるのかどうか、そんなことは誰にも本当のことはわかりません。わからないなら、そのまま「わからない」と言えばいいのです。

 不可知論は「神がいる」という考えを否定しませんし、「神はいない」という考えも否定しません。どちらも正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。可能性としてはどちらも似たようなものです。僕自身は不可知論の立場ですが、有神論も無神論も別に否定はしません。

 最後にひとつだけ。
神を信じているのは、自分の生き方を自分で決めることに自信が持てない弱い人間ではないでしょうか。
自分自身の弱さを知っている人間の方が、かえって強くなれることもありますよ。太平洋を横断するのに「おれは自分を信じる!」と言って、海パン一丁で泳ぐ人はいません。ヨットを用意するとか、食料や通信機を積み込むとか、必ずそれなりの準備をします。

 エベレストに登頂しようとする人が、「おれは自分を信じる!」と言って、トレーナーにサンダル履きで山を登るでしょうか。防寒具、食料、アイゼンやピッケル、酸素マスクやテントなどを用意するはずです。

 人間の限界を知ること、人間の弱さを知ることは大切なことです。自分の弱さを知って神を頼みとする人が、神を持たない人の何倍、何十倍もの力を発揮することがあるのは事実です。マキシミリアノ・コルベ神父やマザー・テレサは、神を信じることなしに同じ活動をすることができたでしょうか?

 信仰は太平洋横断を企てる人にとってのヨットのようなものであり、エベレスト登頂を目指す人にとっての登山道具みたいなものかもしれません。それがあることで、はじめて可能になることがあります。

 もちろんこれは、どちらが偉いという話ではありません。ヨットで太平洋を横断した堀江謙一と、水着一丁で次々記録を塗り替える北島康介のどちらが偉いのかなんて、単純に比較はできませんからね。

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