旧約聖書に次のような記述があります。
女呪術師を生かしておいてはならない。(出エジプト記 22:17)魔女狩りの根拠はこれだけです。
聖書に書かれた「女呪術師」はやがて「悪魔と契約を結んで魔術を使う者」と解釈されるようになり、中世末期から近世にかけてキリスト教圏では魔女狩り熱が高まりました。
「魔女の集会に出ていた」という本人の自白があれば死刑になりましたが、その前に「呪いの言葉をかけたあと本当に相手が病気になった」とか、「天変地異で作物が被害を受けた」とか、「夢の中に出てきてみだらなことをした」とか、「服装が派手だ」とか、まあ要するに理由は何であれ、本人に一点の非がなくても魔女の容疑をかけられることがあり、一度魔女の容疑をかけられると拷問で強制的に自白を強要させられました。
拷問では仲間の魔女の名前を白状するように強要されたので、ひとりの魔女が捕まれば、そこから芋ずる式に数人から数十人の魔女があぶり出される仕組みです。
こうした魔女狩りが盛り上がったのはカトリックだけではなく、プロテスタント側でも魔女狩りは行われています。アメリカのマサチューセッツ州セイラムの魔女狩りは、裁判記録がほとんど完全な形で残っていることから多くの歴史家や社会学者の研究対象になっている有名な事件です。これはプロテスタント側が起こした魔女裁判でした。
中世末期の魔女裁判では魔女を告発したり取り調べたりすることを生業とする専門家たちがいて、彼らは処刑された魔女から没収された財産の一部を自分たちの収入源としていました。多くの魔女を告発してより多く処刑すればそれだけ収入が増えるわけですから、彼らはあちこちの町を巡回しては魔女の摘発に励みました。
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