2015年2月19日木曜日

旧約聖書の神と新約聖書の神は同じ神ですか?

 旧約聖書の神は荒々しくて残酷で嫉妬深く、新約聖書の神は穏やかで慈悲深い引照があります。どちらも同じ神のはずなのに、なぜこれほど違うのでしょうか?



 聖書の神は人間の歴史の中に段階的に介入します。

 最初は人間と直接対面して直接声をかけていましたが、やがて預言者を通じて語るようになり、今から2千年ほど前にイエス・キリストをこの世に送り、その後は聖霊を通してこの世に働きかけ続けています。要するに神の働きかけは一様ではなく、その時代に応じて、神がもっともふさわしいと考える方法をとるわけです。

 イエス・キリストは神を「天の父」と呼びますが、父親が子供に接する態度も、子供が本当に幼い赤ん坊や幼児の時代と、分別の付くようになる小学生頃と、自我が芽生える中学生以降とでは違ってくるはずです。

 本当に幼い子供には危険の避け方や世の中の規律を教えるために、飴と鞭でびしびし鍛えますし、時には頭をゴツンと殴ったり、おしりペンペンすることだってあるでしょう。でも中学生以上の子供に、同じような接し方をするのは間違いです。子供が成長すればそこに一人前の人格を認めて、対等な立場で接してやらねばなりません。人間の歴史と神の関係もそれと似ているかもしれません。

 旧約時代の神は確かに厳しい父親でした。しかし聖書をよく読めば、神がただ厳しいだけではなく、時には人間たちにとことん甘く優しい面を見せることもあることがわかるはずです。厳しい父と優しい父のふたりの神がいるのではなく、ひとつの神の中に厳しい面もあれば、優しい面もあるのです。

 「昔はよく怒鳴って殴る厳しい親父だったけど、最近はさっぱり殴らなくなった」というのは当たり前の話。子供が大人になっても怒鳴り散らしたり殴ったりしているのは異常です。聖書の神は、そういう異常な神ではないのです。これは人間がそれだけ神から信頼されているということかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿