新約聖書の福音書の中で最初に書かれたのはマルコ伝(西暦60年代)ですが、それ以前からイエスの受難についてのまとまった伝承があったようです。成立した時期はイエスの死から間もない頃でしょう。パウロのコリント人への手紙一の中に最後の晩餐についての記述がありますから、おそらくその頃には受難の全体像がまとまった物語として語られていたのでしょう。
では「ペトロがイエスを3度知らないと言った」という話の情報源は誰でしょう。それはペトロ本人だと思います。初代教会の頭であったペトロ自身が、「わたしはイエスを知らないと言った」と信徒たちに語っていたのです。
ペトロの否認は確かに「恥ずかしい話」ですが、ペトロ本人はなぜこれを語れたのか。それはイエスの復活に対する揺るぎない信仰があったからだと思います。イエスは最も惨めに、弟子たち全員に見捨てられて死んでいったという事実。それが復活によって、劇的な大逆転勝利に変わるのです。
オセロゲームで盤面がほとんど黒一色になったところで、たった1枚のコマを置いたことで盤面があらかた白に塗り替えられてしまったようなものです。こうした勝利が共同体の記憶として根付いていたからこそ、その前の受難の惨めさとのコントラストが引き立つわけです。
聖書はキリスト教会の中から生まれてきた書物です。そこではイエスの死と復活が、共同体全体の常識とされています。イエスの惨めな死と、復活による勝利が福音書の中心です。それはペトロの否認という出来事も同じなのです。
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