2015年2月18日水曜日

江戸幕府はなぜキリスト教を禁止にしたの?

 江戸幕府がキリスト教を禁じたのは、キリスト教が日本に広まることで、日本が西洋の植民地にされると考えたからですか?



 戦国時代末期、信長・秀吉・家康などを苦しめたのは一向宗(浄土真宗)でした。

 信長は石山本願寺と10年にわたって戦い続けねばなりませんでしたし、家康も一向宗との戦い(一向一揆)で命を落としかけたことがあります。戦国末期から安土桃山、江戸時代初期は、寺社集団が大名並みの力を持っていたのです。

 信長が海外の宣教師を優遇してキリスト教を保護したのは、それによって一向宗に対する対立勢力を作ろうというもくろみがあったからかもしれません。

 ところがこのキリスト教が日本にあっという間に広まると、秀吉や家康は慌てることになります。戦国時代を脱してようやく中央集権的な国家を作ろうとしていた矢先に、キリスト教の影響を受けた諸大名が宣教師(バテレン)たちを通じてそれぞれ独自に、海外と通商を始めることになったからです。秀吉はバテレン追放令を出すことで、諸大名から外交や交易の窓口を奪うことができました。

 徳川幕府は当初キリシタンに対して寛容な政策をとったようですが、島原の乱をきっかけにしてキリシタンへの締め付けを厳しくします。しかし徳川幕府の宗教政策を見ていてわかることは、徳川幕府の政策の根本は社会の世俗化、脱宗教化にあったということです。幕府はキリスト教を禁じて仏教を保護するように見せかけて、じつは仏教を完全に幕府の管理下に置いてしまいます。

 徳川政権には家康時代の一向宗との戦いの記憶があるので、キリスト教も仏教も同じぐらい危険だと考えていたのでしょう。幕府政権とつながって仏教は表面的には栄えましたが、信仰の内実は衰え、庇護者である徳川幕府が政権を明治政府に譲り渡すと同時に、大衆運動としての廃仏毀釈が起きて全国の寺院はめちゃくちゃになりました。そんな時代には新たに僧になろうという人もいなくなり、日本の仏教は戒律で固く禁じられていた僧侶の妻帯に踏み切らねばならないところにまで追い込まれました。要するに僧侶のなり手がいないので、僧侶自身が結婚して子供を作り、我が子に寺を譲るほかなくなったのです。

 江戸時代のキリスト教禁止には、いろいろな理由があるでしょう。しかし僕は、江戸幕府の「脱宗教政策」としてキリスト教が禁じられたのだと思います。キリシタン(カトリック信徒)は総本山が海の向こうのバチカンにあり、宣教師たちは海の向こうからやって来ます。江戸幕府からすると、それはとても管理しにくいのですね。それに対して仏教や神道は、江戸幕府が取り込んで管理しやすい存在でした。それが、キリスト教が日本で禁じられた一番の理由だと思います。

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