2015年2月15日日曜日

キリスト教は奴隷制を否定しない?

 キリスト教は神様の前で人間が平等だという考えから、奴隷制を否定するものだとばかり思っていました。でもかつてはアメリカ南部でキリスト教が奴隷制と共存していました。なぜこんなことがあり得たのでしょうか?



 キリスト教が奴隷制を否定したことはありません。むしろキリスト教は奴隷制を擁護し容認してきたはずです。

 古代イスラエルに奴隷制があったことは、旧約聖書の律法の中に奴隷に関する規定が数多く含まれていることからもわかります。イエスが生きていた時代にも奴隷制は存在しました。しかし聖書の中に、こうした奴隷を解放するべきだと述べられている部分はありません。逆に「奴隷は奴隷のままでいろ」と命じている部分はあります。
 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。(コリントの信徒への手紙一 7:21)
奴隷廃止の思想はキリスト教の中からではなく、18世紀に啓蒙思想が「人間の尊厳」を主張し始めたのに合わせて生まれた考えなのです。

 啓蒙主義の中から生まれたこうした価値観は、やがてキリスト教と結びついてキリスト教ヒューマニズムになります。18世紀の奴隷解放運動家の中には聖職者なども多く、ここでキリスト教と奴隷解放運動が合致することになります。このあたりは映画『アメイジング・グレイス』などにも描かれています。

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