2015年2月17日火曜日

なぜアダムの罪が現代の人間にも関係するんですか?

 エデンの園でアダムが犯した罪が、その後の人間にもずっと遺伝しているという理由がわかりません。なぜそんなことになるんでしょうか?



 アダムの罪が現在の人間まで関係しているという話は、新約聖書のローマの信徒への手紙5章に出てきます。アダムが罪を犯したことで、すべての人が罪を犯したことになり、死に支配されるようになった……という主張です。これが「原罪」のもとになった考えです。

 しかしこれは「イエス・キリストの救い」を説明するために、後付けで出てきた理屈であって、ロマ書全体の中でここだけを大きく取り上げるのは、いささかバランスを欠いた話のようにも思うのです。

 パウロは自分の主張のためにいささか強引な論の進め方をすることもしばしばありますし、今となってはとうてい受け入れられないような独善的な結婚観を披露したり、女性差別丸出しの主張をしたりしています。これらについて現在の教会は、パウロの主張を多少割り引いて解釈するわけですが、「アダムの罪が」という話については割り引くどころかむしろ補強して、強固な原罪論を組み立ててしまいました。

 原罪という考えは何かと便利ではあるのです。個人の不完全さや落ち度を個人の責任ではなく人類全体の罪のせいだと言い逃れできますし(みんな罪人じゃないか)、あらゆる人間にイエス・キリストの救いが必要であるという福音伝道の原動力にもなります(イエスさまはわたしたちみんなのために死んでくださった)。だからこそ原罪は重宝がられて、教会の中で今でも生き続けているのだと思います。

 しかしあまり罪ばかり強調されても、気が滅入るのですね。自分の中の罪を自覚することも大事かもしれませんが、キリスト教の中心にあるのは「罪」ではなく「救い」であるべきだと思いますしね。

0 件のコメント:

コメントを投稿