2015年2月15日日曜日

バチカンがホロコーストを黙認した?

 第二次大戦中、バチカンがナチスのユダヤ人虐殺を知りながら、あえてそれを告発せずに黙認していたというのは事実でしょうか。



 この問題を取り上げたのはホーホフートの「神の代理人」という戯曲で、コスタ・ガブラス監督が『アーメン』というタイトルで映画化しています。この映画は日本未公開だったのですが、『ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-』というタイトルでDVD発売されているので、レンタルDVDなどで観ることができると思います。

 さてバチカンがホロコーストを知っていて黙殺したか否かですが、たぶん何も知らなかったということはあり得ないと思います。バチカンはドイツ国内やナチス占領下の東欧諸国にもカトリック教会のネットワークを持っていましたし、そうした教会からもバチカンに何らかの報告が届いていたでしょう。

 しかしこの当時、カトリック教会自体がナチスに迫害されていた面もあります。アウシュビッツで死んだマキシミリアノ・コルベ神父などはその象徴的な例でしょう。バチカンがあるのはイタリアのローマであり、当時のイタリアはドイツと同盟国で、国の中をドイツ人たちが大手を振って歩いていました。こうした中で、バチカンがユダヤ人虐殺に大声を上げられなかったことには、やむを得なかった面もあるかもしれません。

 バチカンはヨハネ・パウロ2世の時代に、歴史の中でキリスト教がユダヤ人を迫害したことについて謝罪たようですが、この中では第二次大戦中にナチスのユダヤ人虐殺を黙認したことには触れていません。しかしフランスやポーランドのカトリック教会は第二次大戦中にカトリック教会がユダヤ人迫害を黙認したり、抗議や抵抗に消極的な姿勢を取っていたことを謝罪しているそうです。これらは当時のカトリック教会が、ナチスのユダヤ人虐殺を知りながら目を閉じていたことを認めているわけです。

 第二次大戦中にドイツが行った組織的なユダヤ人虐殺は、戦後になってその全貌が明らかになってようやく世界中がそれをまともに受け止めたという面があります。戦時中にも噂話としては漏れ伝わってきていたようですが、そのような残虐非道がまさか本当に行われているとは誰も思わなかったのです。強制収容所で死を免れたノーベル平和賞作家エリ・ヴィーゼルのエッセイの中に、強制収容所から逃げてきた男の話を、ユダヤ人がちが笑い話にしていたエピソードが登場します。彼らは噂話ではそれを知っていても、実際に自分たちが強制収容所に送られ、焼却炉の煙突を見るまで、誰もそんなものが実在するとは思わなかった。ナチスのユダヤ人虐殺は、当時の人々の想像力の限界を軽々と突破するような犯罪だったのです。

 当時のバチカンにも、強制収容所やガス室について何らかの報告は届いたかもしれません。しかし当時のバチカンが、その情報の正確さに疑いを持ったとしても不思議ではないのです。「あの時バチカンが声を上げていてくれたら」と思うのは、歴史の後知恵というものかもしれません。

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